山元町との出会い – 3

数日ぶりの投稿ですかね…。

前回の記事はこちら!

今回は「山元町と出会ったことで、将来の夢が180°変わった」ということについて書いていきます。

「180°」という数値はなんとなく決めました。笑
ただ、それくらい大きなインパクトを受けました。

今まで持っていた「将来の夢」

機関車トーマス、ドラえもん

発明家

ゲームクリエイター

プログラマー

検察官

経営者(?)

保育園の頃から「将来の夢」を遡ると、大体こんな感じになります。
機関車トーマスやドラえもんなんて可愛い時代もあったんですね。笑

発明家になろうとしたのは小学校2年生の頃です。レゴブロックをやっていたためか工作が大好きで、その延長で目指そうとしたのだと思います。

その後、ゲームにどハマりした小学校6年生頃からゲームクリエイターを目指そうと考え(卒業文集にそう書いていました)、高校時代からはゲームオタクというレッテルを貼られるのが怖くなったのか、プログラマーに。笑

高校2年生までは理系クラスにいたのですが、勉強をしていなかったので数学Ⅲと物理の成績に悩まされ…。浪人はなんとしてでも避けたかったので、文系クラスへ。

まあ、下から数えた方が早かったのですが…。

その頃もゲームにハマっていて、それは「逆転裁判」というもの。結構有名なので、皆さんもご存知かと思います。

「逆転裁判」の主人公は弁護士なのですが、対峙する検察官のバッジが格好良かったので、そちらを目指すようになりました。
今思い返せば、本当に滅茶苦茶な理由だと思います。笑

部活動を始めて検察官を目指すのが難しくなり…。

※部活動のせいにする意図はありません。

活動は週に6日。

もちろん、入部当初は本気で目指していたので、3年生になったら部活動も早めに辞めて、予備試験やロースクールを目指して勉強することを考えていました。実際、そのようなことを他の部員や家族にも相談していました。

ただ、それは現実的に難しそうだと気付きました。

マネージャーが辛くなってボランティアも始めたから。

週に1日あった休みもボランティアに充てるような生活になったので、もう勉強する気力も時間もありません。

そうなると、必然的に進路の選択肢は「公務員」から「民間」へ。

民間就職の情報を集めるために行動していたとき、一般社団法人ふらっとーほくと出会いました。

「復興・創生インターン」に参加

東北大学地域復興プロジェクト”HARU”に所属してから初めての夏休み。

マネージャーもなんとか続けていましたが、気持ち的には「部活動以上にボランティア」

そんな中、HARUの先輩から「復興・創生インターン」の紹介をいただきました。

「復興・創生インターン」は、復興庁事業「伴走型人材確保・育成支援モデル事業」の1つであり、岩手県、宮城県、福島県の被災地企業を対象とした実践型インターンシッププログラムです。

復興庁|復興・創生インターンについて

「実践型インターンシップ」というのは、一般的に就職活動で行われているインターンとは異なるもの。

企業側としては、学生と一緒にプロジェクトを動かすことで「今までにやりたくてもやれなかったこと」や「新しく挑戦したいこと」を実行できるようになり、学生側としては、経営者の右腕として実際の業務に携わることができ「実践的」な経験を積むことができるようになります。

非常に説明が分かりにくいかもしれませんが、要するに「実践的」なインターンです。

就活で行われるインターンが実践的ではない、という訳ではありません。
ただ、基本的には「ワークショップ」程度で修了することが多いため、その意味では実践的ではないと思っています。

長々と説明してしまいましたが、そんなインターンを紹介してもらった僕。

そして、そのインターンが行われる場所というのが「山元町」。

インターンの内容というのも、「インターンを作るインターン」。
分かりにくいのですが、要するにインターンコーディネーターとして1ヶ月活動するというものでした。

進路を民間就職に切り替えた当時の僕にとって、

そもそも「インターン」とはなんだ?

という疑問でいっぱいだったので、それを詳しく知るため応募。

山元町のコーディネーターが「ふらっとーほく」で、現在もお世話になっている「阿部一味」と出会いました。
当時は一人の名字が「土屋さん」でしたが…。笑

山元町で1ヶ月間過ごしてから…。

インターンコーディネーターとして山元町で生活する中で、現在もお世話になっている「畑楽」の前身にあたる「内藤ファーム」の内藤さんとも深く関わるようになり…。その他にも、多くの住民さんと深く関われるようになれたのは、このインターンがきっかけでした!

山元町の雰囲気がマッチしていたのか(ボランティアの活動地域ということもあったのですが)、インターン修了後もよく町へ訪れるように。

山元町の特色なのか、町を盛り上げようとしている方々の多くは団体の代表さん。
要するに、社長や代表理事といった経営者の方々。

また、山元町でボランティア活動(=復興活動)に取り組んでいても、必然的にそう言った方々とお会いする機会が増えました。

そして同じ年度の春休み。

「復興・創生インターン」にハマった僕は、(当時はおかわりインターンが認められていたので)もう一度応募。

そこで出会ったのは株式会社ヤマナカという、加工も行う水産系商社。髙田社長に出会い、ベトナムに行かせていただいたのも、懐かしい…!

まさか、初海外がインターンになるとは思ってもいませんでしたが…。笑

そもそも「復興・創生インターン(実践型インターン)」に参加するということは経営者の右腕として活動することになるので、必然的にもそういった方々と関わる機会が増えます。

そういう訳で、多くの経営者の方々から影響を受けたのでしょう。

その姿に憧れるようになり、将来の夢というと変な気もしますが、目指したい進路の一つになりました。

これで今日は終わり

この記事を書いていて、終わりが見えないような気がしてきました。笑

というのも、現在も山元町に影響を受け続けているからです。おそらく、これからも影響を受け続けるでしょう…。

これからは、活動の中で区切りが付けられるような時に、この記事を更新していきたいと思います。

次回は「就職活動と地域おこし協力隊」ということをテーマにしていきたいと思います!

ありがとうございました!